月刊生徒指導2006年1月号

1.問題の所在

 「生徒指導」というと、問題行動をおこした生徒を特別指導したり、問題行動をなくすために、恫喝するイメージがある。しかしこれは生徒指導の本質的なものではなく、一部分の外面的なものでしかない。生徒指導の本質とは、教科学習を初めとする全ての教育活動で、生徒が活躍できる環境を作り、生徒の「生きる力を奪わない」ことである。

 また「学力問題」というと、児童生徒の集中力が低下して、机に座っていられないことや、学力テストの平均点が諸外国に比べて低いことなどの、子どもたち側の問題が取り沙汰されている。しかし「学力問題」をもっと広い視野で見てみると、実は教師側の問題が大きいことが見える。

 

  1.1.子どもを見ない教師

 生徒指導の第一歩は生徒を見ることである。生徒を理解して初めて『指導』ができるようになる。ある高校では、実際に次のような授業がおこなわれている。教室内で話しているのは教師だけ。生徒は熱心に話を聞いているのではなく、生徒はほとんどが寝ているか、起きていても携帯電話をいじっているか、マンガを読んでいるかである。教師は全くそれを注意することはない。教師は学習の場を作るのを諦めているのだ。

 現実にこのような授業がたくさんの教室、学校でおこなわれている。生徒は全く『学習』をすることなく1日を終える。このような日々を過ごして行けば、学力低下が起こるのは当たり前である。

 この問題の原因は圧倒的に教師にある。教師が生徒の興味関心から全く離れた授業をしていた結果である。生徒に関心を持たない教師が生徒の指導はできない。指導できないのなら学力が向上するはずがない。

 

  1.2.恫喝する教師

 生徒は脅しつければ言うことを聞くと思っている教師がいるのも事実である。授業も威圧感によって静かにさせ、居眠りや内職をする生徒は全くいない。荒れて授業が成立しないクラスが多い学校でも、「自分の授業は静かだ。」と自慢する。しかし反動で、その恫喝教師の目の届かない授業時に生徒が荒れてしまい、授業が成り立たなくなっていることに気付いていない。つまりその教師によって、他の授業での学習効果が低下させられていることになる。

 

2.学習効果とは

 それでは、恫喝せずに、生徒の興味関心をひき、学習効果の上がる工夫を次に示す。私は次の3点を心がけて授業をおこなっている。それは「時間・意欲・環境」である。自動車に例えると、走行距離を「学力」だとして、走る「時間」が長く、アクセルと強く踏み(意欲)、走る道(環境)が整っていれば、効率よく遠くまで走れることになる。

 

  2.1.時間……《自動車で言えば「走行時間」》

 時間というのは、単純に学習時間を確保するということである。「学習時間を確保する」というと、行事を削ったり、1週間の授業時数を増やすことではない。私の言うのは、チャイムと同時に授業を開始することである。

 チャイムと同時に授業を開始することは、当たり前のことだと思われるが、かなりの割合で実行されていない。一部の進学校では学校全体でおこなわれているが、その他の学校ではチャイム後準備室を出て教室に入り、出席をとり、実質約5分後に授業が開始される。

 このようなことが1年中続く。1年36週で毎時間5分削られるとすると、1単位であれば1年間で180分(3時間)である。行事の見直しをしたり、1週間のコマ数を増やすよりも、毎時間、時刻どおりに授業を始める方が簡単に時数確保ができる。

 また、教師が時間を守ることは、生徒への指導にも役立つ。時間とは担当教師の都合によって変化するのではなく、万人に平等に流れているものということを示すのに絶好の機会である。登校時の遅刻には厳しくしていて、自分の授業はいつも遅刻しているようでは生徒に説明がつかない。授業開始時刻を守ることはもちろん、終了時刻も守ることも重要なことである。

 

  2.2.意欲……《自動車でいえば「アクセル」を踏むこと》

 時間を確保しても、生徒が意欲的にならなければ、「長い距離」を進まない。意欲を高める最良の手段とは、「生徒に任せる」ということである。

 我々教員の職場で、校長が目標を決め、それに向かって我々が活動する場合、一つ一つのやり方を校長に定められていては意欲はあがらない。また、こちらで考えたことに一つ一つ口出しされては、自分の判断で「アクセルを踏む」気になれない。生徒も同じである。

 「安心」とは課題解決の方法が自分で決められるということである。授業での課題(目標)は教師が設定するが、課題解決方法は生徒に任せる。解決方法をいちいち教師が指摘すると、生徒は教師の指示をいちいち待ち、自分で判断できると「安心」は無くなってしまう。つまり、意欲が無くなっていくということである。

 教師は、「安心」に加えて、生徒が自分で考えた方法の結果(成果)も、実感できるものとして示さなければならない。一般的に、学習の成果は、評価の基準がテストの点なので、なかなか点数が上がらない生徒は意欲を高めていくことができない。

 そこで私は「gil(ギル)」という地域通貨を発行している。地域通貨といっても色画用紙に「1gil」と印刷した紙切れである。私の授業に出席すれば、1gil得られることにしている。以前の学校で、なかなか出席しない生徒が非常に多くて、苦肉の策で始めたものだ。また、gilは、提出課題の出来によって獲得できる。課題が一定基準以上であれば出されたノートにgilをはさんでおく。獲得したgilは、学習ゲームの点数集計に使ったり、紛失したプリントを1gilで交換したりと、流通するようにしている。

 こうして定期テストごとにgilを集計し、回収する。そうすると定期テストごとに自分が出席したか、課題を提出したかなどが「gilの数」として明瞭に現れる。クラスの仲間と比べて多かったら、課題提出をがんばったということの表れである。集計したgilの数は、「平常点」として、換算する。中にはgilを集計前になくしてしまい、自分の物品管理のいいかげんさを実感している生徒もいる。

 安心を与え、「選択」の自由を保障し、その「結果」として学習の成果を形に残す。その「結果」の「責任」は自分で実感するという構造(〔選択結果責任〕の構造)を作り出すことに、意欲を喚起する仕組みがある。

 

  2.3.環境……《自動車で言えば整った「道路」》

 勉強しようとしても、周りがうるさかったり、教師との人間関係が互いに尊敬し合えないものだったりすると、学習効果は上がらない。恫喝せずに、よい学習環境、よい人間関係を保つには、「ある程度の規律」が必要になる。「規律」とは、「授業の場」と「授業ではない場」をはっきりと区別する目的がある。いわゆる「メリハリ」を作ることだ。

 私が定めている「ある程度の規律」とは「挨拶」、「傾聴」、「返事」の3点である。

 1点目の「挨拶」とは、「授業の開始・終了時の挨拶をきちんとする」ということである。下を向いていたり、机に手をついて立ってから挨拶をする生徒、ひどいときは本を読みながら挨拶をする生徒が非常に多かったので、これを定めた。授業の開始と終わりのけじめを付けることによって、「オン(授業時間)」と「オフ(休み時間)」の感覚を呼び覚ますためである。

 2点目の「傾聴」とは、「説明の時には私語はしない」ということである。私の授業は大きく分けて、「課題の説明」と、「課題の取り組み」の時間に分けられる。課題の取り組みの時間には生徒には「モラルに反しない限り何をしてもよい。」と伝えてある。だから周りと喋ったり、立ち歩いたりというのは自由である。しかし、この授業の時間に、何に取り組むのかを説明する「課題の説明」の時間には、私語は一切許さない。私語をする者は教師の話に紛れて話をしようとする。しかし私は私語をし出すと話をやめる。効果絶大である。突然私が話をやめると私語をしている声が教室に響く。するとその生徒も自分の私語に気づいてやめる。この規律を定めたのも聞くときと喋るときの使い分けの感覚を呼び覚ますためである。

 3点目の「返事」は、「名前を呼ばれたら3秒以内に返事をする」ということである。最近、あまりにも返事ができない生徒が多いので、導入した「規律」である。今や生徒は返事をしないことが習慣になっている。だから返事をしないと何度も名前を呼んだり、「1、2、3」とカウントしたりすると、返事をするようになる。返事をすることは挨拶同様人間関係の基本である。人間関係の基本が無いところで、授業も何もない。もちろん生徒に「先生」と呼ばれたら、私も3秒以内、いや、0.5秒以内の返事を心がけている。

 

3.終わりに

 以上のように、私の方針は「環境を整え、生徒の活躍する力を信じる」というものである。そこで活躍した生徒の活動は、私の想像以上のものであることが多い。そのことに感動するために教師をしていると言ってよい。