月刊国語教育 2003年5月号 「身体表現としての群読」

1.はじめに

 「伝え合う」という言葉が流行のように国語教育界に使われている。また、「声に出す」という言葉も世間では流行して様々な本が売れている。

 そのような言葉が今急に脚光を浴びてきているということは、今まで国語教育では一般的になおざりにされていたからだ。声を出して表現する楽しみを子どもたちに知ってもらいたいという気持ちもあり、「群読」を授業で行った。群読は複数人数で文章(韻文・散文・古典・現代文、何でも)を読む活動である。複数で音読することにより、様々な技法を使えるようになる。技法を使うことによってその作品を「表現」する事ができるのだ。

1)声を出すこと

 生徒たちは声に出して読むという経験を、学年が上がるにつれてしなくなる。それは授業で声を出す機会がどんどん減っていくし、国語においては扱う学習材が声を出さないで読むものに移行していくからであろう。特に受験勉強と音読はかけ離れたものとして生徒も教師もイメージしている。

 しかし声に出すことによってわかることもある。少なくとも読める字と読めない字が判別できる。これは重要なことである。黙読しているときは読めない字を漢字の意味だけ頭に浮かべて飛ばすことがある。子どもたちは黙読に慣れているため、「読めない字」を意識することが無くなってきている。読めると認識し、読めなければ読めるようにするというのは重要なことである。

 次に、声を出すということはハーモニーを生む。それが調和しているかしていないかは別だが、人間の本性として調和するようにしたいと思うはずだ。調和した方が気持ちいいからだ。自分だけの声が大きかったり、または小さかったりした場合、教師が何も指示しなくても声の大きさ・高さ・質・声を出すタイミングを周りに合わせて調和しようとする。それによって質の高い群読が生まれてくる。これこそが「伝え合う」ことである。いや、「通じ合う」と言った方がぴったりかもしれない。群読においてはこのことが一番重要だと私は思う。

2)シナリオを作ること

 群読の場合、既成のシナリオをそのまま行う場合もあるし、詩を1編与えてシナリオを作らせる場合がある。シナリオを作らせる場合は、その詩自体を読み込む必要が生じる。どの言葉にどんな効果を組み込むかは詩の主題・雰囲気によってくる。繰り返すところやたくさんで読むところは詩の話者の思いが入っているところの方がいいし、楽しく読むのだったら楽しい内容の詩の方がよい。

 シナリオを作るということは内容読解もついてくるということだ。群読は表現と理解が組み合わさった活動なのだ。

2.活動風景

 新潟県立堀之内高等学校2001年度3年国語表現選択者(10名)で二学期を通じて群読を行った。

1)まずは真似てみる

 生徒たちは群読初体験だったので、まずは群読がどういうものかを耳で聞いてイメージをつかんだ方がいいと思い、「家本芳郎と楽しむ群読 CDブック」(家本芳郎/編・解説・演出 高文研 2001年3月)のCDより、「雪が降る」を聞かせて、それを元に実践した。この「雪が降る」は主旋律とコーラスのバランスが良く、群読の技法が比較的簡単に体得できるものだったので、生徒達もすぐに群読にのめり込んだようだった。生徒の完成度もなかなかのものだった。初心者は耳から入るのがいいようだ。

 10名なので2班に分かれて行った。各班自然とリーダーが決まる。「ここはこうしよう。」「ここは合わせて。」という言葉がどちらの班からも聞こえる。お手本があるとすぐに全員で一つの目標を目ざすことができる。約三十分の練習の後、ビデオ撮影で評価とする。十人の講座なので聴衆が少ない。聴衆が少ないと発表のし甲斐も少ないと思い、それを補うために毎回の群読をビデオ撮影した。「記録に残る。」ということはプレッシャーになるし、発表し甲斐もある。始めの段階では生徒は緊張をしていたが、ビデオ撮影も回を重ねるごとに慣れて、微笑みも出るようになってきた。

a)「雪が降る」のシナリオ

 「雪が降る」のシナリオ

2)シナリオ作り

 群読では、演ずるという要素の他に、シナリオを「創る」という要素もある。音楽や作詞に比べて比較的簡単に「創造」することができるのも特徴だ。シナリオなので、音楽でいえば「編曲」ということになるであろう。同じ詩を取り扱っても各班ごとに個性が出てくるので、聞いていて面白い。

 次は生徒の作った群読のシナリオである。二つの班を載せておく。それぞれ違ったものになっているのがわかるだろう。

3)動きを入れて

 うまくなってくると欲が出てくるもので、学期の終わりくらいに「動きを入れて群読をしよう。」と提案した。何でもいいので、演じる時に体の動きを入れるのだ。国語表現の時間を通じて指導してきたことなのだが、伝えたい相手の方を向くということが非常に難しいのだ。群読は原稿を持ったままだと間違えないようにと気を遣って原稿をじーっと見てしまう。しかし動きを入れることによって、原稿から目を離す機会にはなるのだ。それに体の動きを入れると自然とリズムをとるようになる。表現になれていない生徒にとってはこれは効果的である。また、生徒達も表現することに抵抗が無くなると次の段階を目ざすようで、提案をすんなり受け入れてくれた。

 シナリオは「やだくん」と「かえるのぴょん」であった。「やだくん」は主人公とコーラスの掛け合いや動き、「かえるのぴょん」はメンバー全員の調和の取れた動きが必要となる。どちらの班も一生懸命練習して、班のメンバーと動きを合わせるのに必死だった。また、動きと発声を合わせるのにも非常に苦労していた。どちらもそれなりに完成したものができたと思う。結果はウエブサイトで見て頂きたい。

3.生徒の変化

 各時間で発表が終わると、その発表の感想・ふりかえりを書かせた。時間系列でふりかえりの文章を載せる。

1.ふりかえり

 ① 9/18 思ったより楽しくできた。前の授業に出なかったので不安がありましたが、笑いもあり、みんなで力を合わせることができて良かったです。恥ずかしさがなくなりました。

 ② 9/18 それぞれ読むペースが違い普通に読むとバラバラになるがリズムをつけるとまとまりができる。

 ③ 9/18 工夫が少なかったかな。もう少しアレンジしても良かった。しかも自分が読むところ忘れたし。次回はもっと工夫したいです。

 ④ 10/2 続けて読むところが難しかった。テープの様にはいかない。声の大きさとか調節するのも難しかった。

 ⑤ 10/2 重なるところが難しくややこしかったです。でも楽しくできました。

 ⑥ 10/2 最後の「ふるふる〜」の所が一人作るのが難しかった〜。

 ⑦ 10/9 今日は恥ずかしかった。でも声がちゃんと出てました。カメラ目線もばっちりしたよ。

 ⑧ 10/9 今日はちょっと早かった気がする。忘れやすかったし。大きな間違いはなかったけど納得いかないかな……。

 ⑨ 10/9 しっぱいしたー!くやしー。練習では割と旨くいって田のに、何で失敗したのだろう。やっぱり今日は○○君がいなかったからかなぁ?ウチラの班は本番に間違えるらしいです。

 ⑩ 12/11 あと一回だけど、最後も自分たちらしく楽しくやりたいと思います。

 ⑪ 12/11 ただよむよりおも、動きをつけると楽しくできるし、詩の内容も分かりやすくなった。読み方も少し変えるだけで印象が変わった。

 ⑫ 12/11 「ヤダくん」のヤダくんをやったのだけど、以外と難しい……。今までと違って、ソロばっかりだったから余計難しかった。もっと感情を込めれば良かったとか、声の調子を変えるべきだったとか、ハッキリと喋れば良かったとか、反省すべき点は山ほどあった……。あんなに練習をしたのに……(泣)。でも楽しかったです。

 ⑬  12/11 今日はもーっとアレンジできれば良かった。でもそのアレンジがうまくいかなかったから意味ないと思う。今日はみんなでタイミングを合わせるのが大変だった。恥ずかしがったのも悪かった。今日は反省が多いです……。

2.変化

 

1.今後の課題

 生徒たちは表現と理解の関連を身体的に体感したと思う。しかし、群読自体の完成度や、工夫の度合いから見るともっと伸びる部分があるはずだと思った。では、どうすればそれを伸ばすことができたのだろうか?と自己反省してみた。

 せっかく毎回の群読をビデオテープに記録したのだから、毎回群読を行う前に、前回の群読を一度でいいから見せれば良かったと悔やんでいる。これは「自己モニター」という手法である。自分たちが行った実践の記録は自分たちが一番熱心に見るはずである。いい点、悪い点も自分たちが一番よく分かっているはずである。それらをビデオで見せて可視化することにより、グループに共通の意識(どこを工夫すればよいかなど)を呼び起こさせれば効率的に向上させることができると思う。教師があれこれ細かく指導する必要はなく、自分たちが自分たちで学び合うことで十分なのだと思う。